梅園唱歌図

梅園唱歌図

ばいえん しょうかのず 明治20年(1887年) 楊洲周延
 洋装に身をつつみ、洋楽を演奏する貴婦人を描いた作品。日本の洋楽教育は明治5年に音楽取調掛(後の東京音楽学校、現在の東京芸術大学)が設置されたことで、本格的に始まった。洋楽はまず、鹿鳴館開館後(明治16年)の舞踏ブームに後押しされて、華族の子弟に急速に普及した。その後、明治20年に外相・井上馨が失脚したことで、鹿鳴館時代は終わったが、洋楽は華族から庶民へも次第に広がっていった。
 絵師は楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ:1838〜1912年)本名橋本氏。歌川国周の門人。美人画に優れ、洋装貴婦人や女学生など、開化期の女性の風俗を描いた作品が多い。
前へ 閉じる 次へ